なぜ、キリスト教教育の一環であった「お祈り」が、神霊教信者の先生との出会いによって、教祖様への御神語奉唱に変わったのか。それは、幼い心の中でも確信できた、本当の神の存在に対する「感謝」と「畏れ」によって形づくられる「信仰の心」であったと思います。
実は中学入学の数年前、母が病で倒れる出来事がありました。そのときは幸い大事に至らず、母は元気になりましたが、病床に医者が駆け付け、親戚や知人が神妙な顔をしていた、その情景は幼い日の私の脳裏に鮮明に焼き付きました。
そのことを思い出すたび、仮に中学入学後、キリスト教を私の中で受け入れたとしても、もしも、もう一度、母や身内が倒れ、キリスト教で救われなかったとき、本当に救ってくれる宗教が実在すれば、私は躊躇なくその宗教を信じるであろうという思いがありました。
そのために、キリスト教に本気で向き合うことにはならなかったのだと思います。しかし、神霊教は違っていたのです。
心の中ではいつも神霊教とともに歩む
御守護いただき、高校、大学、社会人と順調に
そのような、人間が抱く「疑い」などを超越した存在であったように思います。
その後、高校入学、浪人時代、大学入学、そして社会人と、いつも私は心の中で神霊教とともに歩ませていただき、常に御守護を賜り、人生を順調に過ごさせていただいておりました。
その間に一度、昭和54年4月ころに青葉台教会の門をくぐらせていただいていたのです。きっとそのときは「入信させていただきたい」と思い、青葉台教会を調べて横浜から向かったのだと思います。
しかし、当時17歳で高校3年生だった私は、親切にご説明を頂いたのですが、未成年ということもあり、「親と相談してもう一度来るように」とのお話を伺い、神霊時報を頂いて家に戻ったのです。
そして、その後、昨年の7月まで、29年間の歳月が流れました。<つづく>
(神奈川県 男性)
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