私は昭和48年、祖父の肺ガンが御縁を頂くきっかけでした。
ある日、私たちきょうだい(姉・私・弟)は座敷に呼ばれ、父より、祖父はガンで、回復の余地はないこと、医者では治らないことを告げられました。「治らないが、できるだけのことをしてあげようと思うので、神霊教に入ろうと思う」というようなことを父は言いました。
「自分はかねてから40歳になったら何か信仰を持とうと考えていた」と言い、「自分たち(両親)は入信するが、お前たちはどうする、嫌なら入らなくてもいい。どちらかを選びなさい」と答えを求められました。
祖父の大安楽往生を目の当たりに
弟は亡くなった祖父の布団で一緒に寝る
姉は中学生で、私は小学校6年。弟に至っては小学1年で、われわれは父の突然の申し出に内心大きく戸惑いました。姉が最初に「入る」と入信の意思を示し、それに引っ張られて私も弟もうなずいたような記憶があります。
いつも自宅敷地内にある茶碗の絵付け工場で夜となく昼となく働き続けていた両親は、神霊教に入信後、毎朝早くに家を出て日参に励んでいました。
その後、祖父は崇高な転生、大安楽往生の大奇蹟を頂いて旅立っていきました。その日、弟は「一緒に寝る」と、体温も下がらず硬直もない、亡くなった祖父の布団の中に入っていました。祖父の大安楽往生は、その後の私の信仰の支えとなっていきました。
父に頼んで、神霊教のチラシをベニヤ板に貼ってもらい、それを自分の自転車に取り付けてもらい、また、当時布教させていただく折に掛けさせていただいていた「ガンも切らずに治る神霊教」と書かれたタスキを掛けて遊びに行ったりもしました。
毎日朝30分、夜30分の家でのお参りが日課となり、神霊教が生活の一部になっていました。
(岐阜県 男性)
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