昭和41年5月、21歳のときでした。朝起きて「お母さん、おはよう」と言うつもりが声がかすれて出ません。どうしたのかなと思いました。熱が出たわけでもないし、カゼを引いたわけでもありません。その後も声は出しにくくかすれ、喉の調子もおかしくなり、家族も心配しました。
近くの耳鼻科で診てもらうと急性咽頭炎と診断されて薬を渡されました。3カ月ほど通院しましたが、一向に良くならず、当時、名古屋で一番と評判の医師に診てもらっても、病院をいくつ替えても全く駄目でした。途方に暮れてしまいました。
いろいろ試すが効果なし
その後、医師や周囲の者の勧めで卵黄にハチミツを加え、サイダーで割ったものを飲んだり、漢方薬、精力剤、ビタミン剤など、良いと言われるものはすべて試してみました。
宗教にも縋りました。名前が悪いということで改名もしました。私はお酒もタバコも全くやりません。どうしてこうなったのか不思議でした。医師も首をかしげるのみでした。
当時私は、食べ物は刺激物を一切避け、マスクを常用し、風に当たるのは良くないということで、クーラーや扇風機も我慢しました。
周囲からは「変な声だね」「何を言っているのかよく分からない」「あなたと話しているとこっちが苦しくなるわ」などと言われ、悲しくて、不安な気持ちでいっぱいなり、眠れない日々が続きました。
5年ほど経過し、名大病院で診断を受けたところ、「声帯神経麻痺」と診断されました。この状態が続くと咽頭ガンになるので、1カ月後に手術をしましょうと言われ、それまでは一言もしゃべることは許されず、筆談をして過ごす日々でした。
私は医師に「手術をすれば治りますか」と尋ねると、「手術をしてみないと分からない」と言い、また「元の声に戻りますか」と聞くと、「元の声には戻らない」とも言われて絶望的になりました。気力も体力もうせていきました。
当時、ある医師は私があまりにも痩せていたので「結核の疑いがある」と言い、レントゲンを撮りましたが、何の異常もありませんでした。
医学の限界を感じる
当時の私は夜も眠れず、朝も起きられず、体はだるくて何もできません。食事を取る気力もなく、薬が食事代わりでした。当然、仕事も辞め、療養していました。もう心身ともにボロボロの状態で、床の中に入ると「このまま死ねたらいいのに」「明日目が覚めなければいいのに」と願っていました。
こうした状況でしたので、私は医学の限界を痛切に感じ、その後は宗教に救いを求め、神社仏閣を回ったり、先祖の供養をしなさいと教えられれば熱心に供養したり、朝晩一生懸命にお経を唱えたり、著名な霊能者を訪ね歩いたりしました。しかし、一向に良くなる気配はありませんでした。
そんなとき昭和46年2月に友人から神霊教を紹介され、私はわらにも縋る思いで入信しました。
入信したその日に、それまで服用していた睡眠薬をやめ、境内の御神水を頂きました。すると、その晩は薬をのまずにぐっすり休み、翌朝はすっきりと目覚め、お腹もすいてきました。朝食も何年ぶりかで少し取ることができました。これ以上の喜びはありませんでした。
5年間の苦しみがうそのように
入信して3カ月後には、電話でも楽に話ができるようになり、周囲の人たちから「あなた、とても良くなったわねえ」「声が出るようになったわねえ」と言われ、五年もの間苦しんでいたのがうそのようでした。
そして、心素直な信仰を重ねると次から次へと変化が起き、心身が軽くなって、生きているという実感を得られるようになりました。
胃下垂、蓄膿症も治る
あるとき、お参りをしていると内蔵をかき回されるような激しい痛みがあり、痛みが治まると極度の胃下垂が治り、食欲も出て偏食もなくなりました。苦痛だった食事を楽しく、おいしく取ることができ、体重も増えてきました。
また、学生時代から蓄膿症で鼻が悪かったのですが、鼻から魚の腐ったような悪臭のする鼻汁がたくさん出て、その後は鼻も頭もすっきりしました。
さらに、当時の私は肺活量が1500㏄ほど(成人女性の標準は2000㏄~3000㏄)しかなく、息切れがして呼吸困難な状態でした。それが胸部が隆起し、骨格を変えていただくと肺活量が正常になり、呼吸も楽にできるようになりました。
そして、以前は喉や胸がつかえ、喉はヒリヒリと痛く、声が出せませんでしたが、喉から痰をどんぶり2杯くらい出させていただくと、胸の圧迫感が消えて喉や胸のつかえも取れ、声が自然に出せるようになりました。
家族が入信し、運命が好転
ところで、私の家族ですが、母は私の原因不明な病気の治癒を願い懸命に支えてくれ、神霊教にも一緒に入信してくれました。姉や叔母もしばらくして入信しました。父は信仰にとても反発していましたが、私の希望を受け入れ昭和59年に入信してくれました。
父は崇高な転生
一家の中心である父が入信したことで、運命が大きく好転しました。売却が困難と思われていた土地が高値で売却でき、名古屋教会に近く、交通の便がよい所にマンションを購入することができました。信仰に打ち込める環境が整いました。
そうした中、平成9年10月に84歳になった父は、教祖様の御教えの通り、崇高で安らかな転生をさせていただきました。
父は転生する一年ほど前から死期を悟っていたようで、「自分史」を書いたりして身辺整理をし、安らかに息を引き取りました。
転生後、体は硬直しないで、出棺する際は両手を組ませることができないほど柔らかでした。死斑、死臭も全く現れませんでした。体温もなかなか冷めず、顔は眠っているかのように安らかで、生前にも見たことのないような崇高な相貌をしておりました。
一方、母は入信後、すぐに持病の頭痛、肩凝り等を良くしていただき、健康で平穏な毎日を送っていました。79歳のときに自宅で突然倒れましたが、奇蹟的に一命を取り留めました。
その後、車椅子の生活となり、周囲は老人病院や介護施設への入所を勧めましたが、病で苦しんでいた私を懸命に支えてくれた日々を思い起こしたとき、教祖様の御神光を頂いて在宅介護をしようと決意しました。真剣にお縋りすると、自宅の防音やバリアフリーにするための改装工事をスムーズに行うことができ、優秀な医師、ホームヘルパー、ケアマネージャー等も集まりました。
また、母子が協力して信仰を深め、周囲もうらやむような親子関係を築くことができました。母には笑顔が溢れ、にこやかで表情も大変豊かになりました。まさに、御神光を頂いて、理想的な在宅介護の環境をつくることができました。
私たち母子は現在、入信前では考えられないほどの幸せな毎日を送らせていただいております。教祖様に心から感謝申し上げております。
ぜひ、この幸せを多くの方にお知らせしたいと念願する次第です。
(愛知県 女性)
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