東日本大震災 津波をまぬがれる

地震の直前まで海で測量を
 3月11日の朝、長男と次男は仕事が休みで仙台市の家におり、長女、三男はそれぞれ学校へ行き、私はいつものように過ごしていました。
 お昼頃、食料品を買いに近所のスーパーへ車で出掛けましたが、次男も一緒だったので多めに買い物をしてお店を出ました。帰りがけにガソリンスタンドへ寄りましたが、価格が安定していたので多めに給油し自宅に向かいました。


 途中、夕方に戻る予定だった娘を自宅付近で見かけたので、声を掛け先に戻り、ほどなく娘も帰宅しました。
 そのとき午後2時20分頃だったと思います。買った物をしまっていると、テレビに突然テロップで「強い揺れに注意」と出ました。「えっ?地震?」と言った途端、携帯電話の警告音が大音量で鳴り響き、地響きとともに揺れはじめました。あまりの激しい揺れに、私と娘はダイニングテーブルの下へすぐ潜り大きな声で「ぶっかんせいき」と御神語を繰り返し唱えていました。
 揺れがやっと収まると、小学生の三男のことがとても心配になりましたが、しばらくして学校から無事に帰ってきました。
 家の中は、食器棚から落ちた食器が何個か割れたりしましたが、家族皆、怪我をすることもなく、お守りいただきました。
 飲料水は普段から蓄えていましたが、地震直後は水道が出ていたため、止まる前に急いでトイレ用の水も風呂などに入れて用意することができました。また外が明るいうちにカセットコンロや懐中電灯など必要な物も用意することができました。この日は雪が積もるほどとても寒い日でしたが、部屋を暖めることができました。
 電話回線が混乱する中、実家の母からのメールを3時半ころ受信することができ、何時間か後には安否を知らせることができました。
 しかし、夕方になっても夫の安否が確認できませんでした。夫の仕事は海や山林、河川などの測量をしており、仕事が忙しく、家にもなかなか帰ってこられないため、この日も海の現場にいるのではないかと、皆でとても心配していました。
 そして、夜10時頃、夫がやっと帰宅しました。その日、夫は2時半まで荒浜の海で船に乗り測量の仕事をして、打ち合わせのため陸に戻り、亘理を車で走っていたときに地震に遭ったそうです。
 地震の揺れが大きかったので津波の危険を感じ、急いで5キロ先の国道4号線に向かいましたが、道は大渋滞で車はまったく進まず、夫は「これでは津波にやられる」と思い、とっさの判断で逆方向の山の方へ進んだそうです。
 3時半ころには旧国道4号線の近くまでたどり着いたそうですが、その頃、荒浜などの沿岸部には10メートル超えの津波が押し寄せ、あっという間に松林、家、車などをのみ込み、逃げ遅れた人や車が押し流されてしまったそうです。夫は「危なかった、本当に危なかった」と声を荒げて話していました。もしそのまま国道4号線に向かっていたら、逃げ遅れて津波に巻き込まれていたものと思います。
 夫は職業柄、常に津波のことを考えて仕事をしていますが、
教祖様に津波からお守りいただいたものと、心から感謝申し上げました。
 変わり果てた沿岸部は想像以上の光景で、ただただ生きているだけで有り難く思いました。
 震災後すべてが一変してしまい、これまでの生活からは想像もつかないような状況でしたが、4月5日に教会の方が家まで様子を見に来てくださり、その後少しずつ改善されました。御神光を届けていただいたのだと実感しています。
 数々の奇蹟を賜り、家族6人を無事お守りいただき心から感謝申し上げております。夫は現在、復興に向けて仕事に励んでいます。これからは私も世の中の役に立てるよう努力していきたいと思います。
(宮城県 K.K)