私は、今年5月17日で入信満41年を迎えさせていただきました。
私は結婚した翌年、昭和42年5月17日、高校時代の友人に神霊教を紹介され、「素晴らしい宗教がある」の一言で実家の母と18年くらい続けてきた信仰をやめて、即入信させていただきました。
結婚してしばらく子供を授かりませんでしたので、お医者さまに見ていただきますと、子宮後屈ということで手術した方がよいと言われました。
手術はしたくありませんでしたので、教祖様に、子供を授かってよいものならどうかお授けくださいとひたすらご祈念申し上げておりました。
子宝を授かる
38歳になりました暮れに妊娠していることが分かり、大変喜び、同時にびっくりいたしました。当時、勤めておりまして、そこを5カ月になるまでお勤めすることができました。
その間、早起会に参拝させていただき安産をご祈念申し上げ、遅刻することなく出勤するという日を続けました。
つわりもまったくありませんし、ご飯も大変おいしくたくさん頂くことができました。
胎児は順調に生育しておりましたが、八カ月になったとき、逆子になりました。
先生は手で直そうとなさいましたが、一向に直らず、私も不安になりました。
ひたすら教祖様にご祈念申し上げ、その後、何回か行った診察で元に戻っているということが分かりました。本当にホッと致しました。
私は自然分娩を希望する旨、お医者さまに申し上げましたところ、高年初産は赤ちゃんに脳障害を起こしたりする危険があるので帝王切開の方がよいと言われました。でも私は自然分娩をあきらめませんでした。
高齢出産にもかかわらず自然分娩で
39歳になっておりました8月14日の夜、おしるしがありましたので、急いで産院に行きますと、笑えなくなったらいらっしゃいと帰されました。
当時、草加の伯父のアパートに住んでおりましたが、両隣の奥さんが顔を出してくれました。二十歳代のお子さんをお持ちの方々で、ご自分たちの出産体験を話してくれたのです。
お二人からは、子供がなかなか産まれてこず、促進剤を注射されても産まれてこないので眠くなってしまい、看護婦さんに眠っては駄目と言われて大変な思いをしたことなどを聞かされました。
教会の信者さんにいつもお聞きしている出産とは違うので、何となく不安になりましたが、教祖様にお縋りしていれば絶対お守りいただけると、自分に言い聞かせました。
翌8月15日の朝四時半に目を覚まし、トイレで用を済ませた後、5分間隔の陣痛を感じました。主人を起こし、暑かったのでうちわであおぎながら15分歩いて産院に着き、ベッドに寝かされましたが、間もなく破水してしまいました。
何回かのいきみで午前5時50分、予定日よりも15日も早いというのに3540グラムの男児、長男勝行を自然分娩にて安産させていただきました。
住居、主人の仕事面でもおかげ
主人は両親と一緒に現在住んでいる所で和服染洗業を営み、昭和52年ごろは伯父のアパートに住んで通っておりました。主人の父に、お店続きに家を建てて引っ越してくるように言われ、大手住宅建設会社に依頼しました。住宅金融公庫の借り入れは抽選でしたが、私が教会へお参りして一心にご祈念申し上げたところ一回で当選し、家を新築することができました。
昭和59年ごろ、和服を着る人が少なくなってきて、お客さまが減り、収入も少なくなってきたようですが、主人は誰にも相談しないで一人で苦しんでおり、ふとしたことで私が気付き、入信を勧めたところ、すぐ「商売繁昌」で入信させていただきました。
その後、お店を両親に任せ、54歳で勤めに出ました。しかし、時代の流れで相変わらずお客さまは見えないので、お店は廃業し、主人が「職務向上」の発願をさせていただきましたところ、2カ月後に事業所の所長となり、69歳まで務めさせていただきました。そのお陰で国民年金と厚生年金を通算で頂くことができ、現在非常に助かっております。
火災から免れる
主人が勤めておりましたとき、お弁当におむすびを持っていっておりましたが、朝早いので、前の晩にたらこを焼いておこうと思い、11時ごろガスコンロのグリルにアルミ箔を敷いてたらこを焼き始めましたが、そのことをすっかり忘れ、換気扇を止めて二階へ上がり寝てしまいました。
朝4時ごろ、目を覚まして気付き、下へ降りていきますと、部屋に少し煙があり、たらこが黒こげになっているだけでした。火事にならずに済んだことを心から有り難く感謝申し上げました。
主人の父は仙台の人で、親から相続した土地を仙台に持っており、その土地に昔から4軒の家が建っており、地代もほとんど頂いていない状態でした。バブル時の昭和61年、相続税対策のため、売却することにしました。そこに住んでいる人に、良い仲介業者を紹介され、お願いしましたところ、短期間で2軒は住んでいる方が買い取ってくださり、他は立退料を支払い、売却することができました。土地を実測したところ、登記してある坪数より16坪も多くありました。
母の末期ガンを救われる
あるとき弟から電話があり、実家の母の体調が悪く休んでいることが多いと聞き、早速行って、「お母さん、温泉でも行きましょう」と言うと、「それどころではないのよ」と家族にも打ち明けずにいたことを話してくれました。出血があり、お嫁さんの病状ということにして薬を買っているとのこと、産婦人科で診てもらうように、お嫁さんにお願いしました。
診察の結果、「子宮ガンの末期症状で当院では手に負えないので、病院に行ってください」と言われたとのことでした。すぐに神霊教への入信を勧め、「子宮ガン」で入信のお許しを頂きました。昭和62年暮れに埼玉医大病院へ入院しましたが、間もなく熊谷の病院に移されました。
私は当時、会社に勤めておりましたが、ほとんど毎週日曜日に青葉台教会の早起会に参拝させていただき、ご祈念申し上げ、小豆がゆを頂いて、熊谷の病院へ母を見舞い、小豆がゆと尊い御供物を頂かせ、御神語奉唱をさせていただきました。
元来色白な人なのに、入院するときは日焼けしたように顔色が黒くなっていました。ガンの末期の現象だそうですが、苦しんだり痛がったりするところは見たことがありませんでした。
12月末に入院しましたのに、翌年4月8日には「ガン細胞は認められません」とお医者さまに言われ、退院することができました。そして80歳まで元気に生きて、天寿を全うさせていただきました。霊救済をさせていただき、最高の親孝行ができましたことを感謝申し上げております。
昭和63年には、相続税対策ということで、お店が建っていた所を壊し、父の名義で全額銀行から建築資金を借り入れることができ、3階建てのワンルームマンションを建てました。
商売をやめ、父も平成4年に亡くなり、母と一緒に住むために、平成5年、総2階の家を建て替えさせていただき、現在に至っております。この家の、私一人が使っている納戸兼用の部屋の電球2個が、家を建てた平成5年から今まで一度も切れておりません。
頭部隆起を体験
平成9年6月には、左側頭頂部を頭部隆起させていただきました。
また、冬に一度は必ず風邪をひき、すぐには治らず、咳、痰をたくさん出すという状態でしたが、現在ではほとんど風邪もひかず、長距離歩けるようになりました。
数々のお恵み、お導き、御救済を賜り、ただただ感謝御礼申し上げるばかりです。
(東京都 女性)
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