親日国・トルコ共和国

都内の公立小学校内にはトルコ共和国の国際交流学級があり、トルコの子供たちが学んでいる。


トルコ共和国は西アジアに位置し、日本から1万キロも離れていてあまり日本人にとってなじみは薄いようであるが大の親日国である。


一昨年に話が持ち上がり、校長先生をはじめ関係者が努力をされて、去年の4月に開校の運びとなった。
開校に当たって校長先生たちが考えたのは、休み時間を日本の子供たちと一緒に過ごすことであった。遊びに国境はない。しばらくすると一緒にドッジボールをやったり、かけっこをしたり、自然と遊ぶようになった。その後は先生同士の交流も生まれ、今度はPTA同士の交流も行われるという。


このことは先日、その小学校の校長先生から聞いた話である。
国際交流というと雲をつかむような話で、一体何をすれば良いのか分からないが、その小学校で行われている子供同士の触れ合いこそ、顔の見える国際交流と言えるような気がする。親しくなれば、自然とお互いの文化、風習などを理解し学ぶようになるのではないか。


また、国際交流学級を運営するトルコ人理事長は、東端にある日本から最初に日が昇り、トルコはそれに遅れること7時間の時差があること、日本人との友好の原点は〝串本〟にある点を触れ、トルコはまだ日本に多くのことを学ぶべき点があることを謙虚に語った。


しかし、今トルコ共和国は、政府を挙げて教育に熱心に取り組み、優秀な人材を世に送り出している。その様子を聞くと、日本もうかうかしていられない気がする。日本も教育に力を注ぐべきである。その教育とは、
教祖様の御道話にある通り、知育、体育、徳育のバランスが取れた、立派な日本人の育成が大切であると思う。
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さてトルコ人理事長が触れた串本の話とは、1890年(明治23年)オスマン帝国(現トルコ共和国)皇帝の特使を乗せて日本に派遣されたエルトゥールル号が、母国に帰る際に樫野埼(かしのざき)灯台近くで座礁したことにある。犠牲者587名という大惨事であったが、地元大島村(現串本町)の人々はトルコ人の遭難者に温かい対応を行ったことがトルコ母国に伝えられ、それから日本とトルコの友好が始まった。


日本ではこの遭難事故について、あまり記憶されていなかったが、1985年(昭和60年)のイラン・イラク戦争において、イラクのイラン上空の航空機に対する無差別攻撃宣言に対し、イラン在留日本人が日本国政府の救援を受けられず、危機的状況にあった際、トルコ政府から派遣されたトルコ航空機によって、無事日本に生還できた事件があった。そのことをきっかけにトルコとの友好が日本国内でも高まり、そのときに約百年前に起きたエルトゥールル号遭難にまつわるエピソードを知った人も多いと思う。


今では、日本でもこの遭難事故は「親日国トルコ」のイメージを語るエピソードとしてなくてはならないものになっている。
私たちも立派な日本人がいたことを決して忘れてはいけないし、その精神は継承しなければならない。