病苦から救われ、感謝の毎日

kobayashi小林さんは昭和42年2月、大手町にあるサンケイホールで行われた教祖様御講演会を拝聴し、神霊教には本物の神様がいると確信して入信されたという。
今日の小林さんは「今が青春そのもの」とおっしゃる通り、明るく、健康的で溌剌としているように映る。
しかし、10歳を過ぎて24歳で神霊教に入信するまでの14年間は本来、希望に満ちた楽しい学校生活や青春時代を送るのが当たり前だが、小林さんは涙なくしては語ることができないほど、苦しく、つらく、気も狂わんばかりの日々を送っていた。


原因不明の病魔に襲われる
10歳までごく普通に過ごしていた小林さんは10歳を過ぎたころより原因不明の頭痛、めまい、肩の凝り、体中の骨の痛み、手足のしびれ、両手首・両腕から肘にかけての痛み、眼精疲労、低血圧、生理痛、生理不順等の多くの症状が現れるようになった。そして、疲れるとすぐに歯茎が腫れ、風邪を引くと2週間くらいは治らなかった。さらに15歳ころより体が大変重く、だるく感じ、数ある症状の中で最もつらいものとなった。
当時、札幌に住んでいたため、札幌医大病院や北大病院に入院して詳しく検査を受けたが、医師からは「あらゆる検査をしたが、どうしてこうなるか分からない」と言われた。
何の希望もなく、生きるしかばね
高校を卒業するとつらさや苦しさを我慢してある鉄鋼会社に事務職として就職する。両親から「家の中が暗くなるから、一切苦しい、つらい、痛いとかは言わないように」と言われ、苦しみを紛らわせるかのように懸命に仕事に励んだ。幸い、職場環境は良く、上司や同僚には恵まれた。
22歳のときに父親の仕事の関係で上京。札幌で勤めていた会社の本社勤務となる。
東京に出てきても苦しみに耐えるのみの生活が続き、喜びや楽しみは何もなく、生きるしかばねのような状態だった。
そして、24歳のとき、「このままこの苦しみに耐えていくならば、気が狂ってしまうのは、もはや時間の問題、いっそひと思いに死のう」と思うようになった。
しかし、一方で両親より先に死んではいけないとも思い、本当の神様を探そうと考えていた。
1枚の号外が運命を変える
そんなとき、会社のエレベーターの中でくしゃくしゃになって捨てられていた一枚の号外が目に入った。そこには「ガンも切らずに治る神霊教、来る2月25日、大手町サンケイホールにて大塚寬一先生講演会開かる 心身に悩みある者は皆来たれ、必ず救わる!」と書かれており、一瞬にして心を奪われた。
昭和42年2月25日、講演会当日、教祖様のお姿を拝したとき、「このお方は本当の神様だ」と強く感じたという。そして、神霊教に入信できたら医者に見放された私でも救ってもらえるかもしれないと思い、とめどもなく涙があふれてきた。講演の最後に、教祖様が「わしのところに来て一生懸命信仰をしたなら、どんな人でも必ず良くなることははっきりしている」ときっぱりとおっしゃられ、小林さんはその場で入信の決意をした。
2月27日、18歳から楽しみが何もない中で蓄えてきた貯金のすべてを持って現在の本部教会に行き、「このお金で入信させてください」とお願いした。受付で応対した女性は入信料のみを受け取り、無事に入信することができた。そして教母様から「熱心にお参りしなさい。会社を辞めて一心にお参りをするように」との御指導を頂き、4カ月後に勤務していた会社を辞めて信仰一筋の環境をつくった。
神霊教に入信した小林さんは「もし私に命があるならば、今より少しでも丈夫にしていただき、父や母より一日でも長く生きて真の親孝行をさせてください。しかし、もし私の命が残り少ないならば、たった一日でもよいから人並みに健康な思いを味わわせてください。そうでなければ死んでも死に切れません。どうかこんな私を助けてください」と必死になって祈念したことを昨日のことのように思い出されるという。
信仰活動中心の生活
その翌日、女子部に入部。折しも当時は「皆一丸となって布教に邁進しなければ、日本は大変なことになる」との教祖様大号令の下、全信者は連日、布教活動に明け暮れていた。小林さんも多くの信者と毎日真剣に布教活動に取り組んでいたそのとき、それまで37度近い微熱が続いていたものが、38、9度になり、その状態が2カ月続き、一段と衰弱し、すっかりやせ細ってしまった。
しかし、一時上がった熱も平熱に戻ると、あれほど体が重く、だるかった症状は治まり、日に日に楽になってきた。後に長い間、微熱が続いていたのは25歳のときに腎臓に結核菌が入り、30歳で亡くなった実家の伯母の霊の苦しみであったことが分かった。また、両親の間に何体かの水子の存在も分かり、この水子の霊が長い間、自分の体を通して強く救いを求めていたことも分かってきた。
元気になり生きる希望がわいてくる
そこで小林さんは毎年、真剣に霊供養に取り組み、苦しかったいろいろな症状も一つずつ良くなってきた。そして、明るく元気に過ごせるようになり、「生きる」ことがこんなに有り難く、楽しく、素晴らしいことなのだという思いをかみしめているという。
あきらめていた良縁も授かる
こうした中、結婚なんか夢のまた夢とあきらめていたが、今のご主人と知り合い、縁あって結婚することができた。その後、小林さんは「神霊教を信仰していて悪くなることは絶対にないから、安心して信仰を続けるように」という教祖様の御教えを胸に刻み、今日まで真剣に信仰を深めてきた。そして現在、日参に、布教に、御奉仕にと大変充実した毎日を送っている。
また、真の健康体となった小林さんは実家の母親や重度の認知症だった舅姑の介護の務めを果たし、地域の活動にも積極的に取り組んだ。
その結果、小林さんの周りには多くの友人が集まり、楽しい交流が今日まで続き、身近な人に布教をする環境も整ってきた。近所の人に「遊びに来ない?」と気軽に誘い、普通の会話の中でさりげなく神霊教の話をし、「どこに行くの」と尋ねられたら、「神霊教に行くのよ」と自然に口から出てくる。神霊教の話をせずにはいられない心境だと語る。
このような心境に至るまで、小林さんは自殺も考えたほどのつらさ、苦しみを神霊教に入信して救われた感謝の気持ちを片時も忘れていない。その感謝の気持ちを実行するために「布教をするための勇気と素直な心を与えてください。布教をするための機会を与えてください」という祈念を15年以上続けてきたという。
この思いが教祖様に通じ、今の幸せはまるで夢のようだと語る。
(東京都 小林多鶴子)
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